入学時と比べて、「謙虚になれているか?素直になれているか?朗らかになっているか?」。もしそうなっているのであれば、子育てという勝負には勝っている。

編集長のひとりごと

最近取材をしていて感じることがある。それは「部活の指導が変わった」ということだ。これまでは指導者の厳しい声が飛び交う場面に遭遇したが、最近ではほとんどない。その一方で、選手たちが声を掛け合う場面をよく見るようになった。

近年、スポーツの在り方、特に指導方法についてはさまざまな議論が取り沙汰されてきた。これまでは監督を頂点とし、その下にコーチ、さらにその下に選手がいるピラミッド方式。監督の意見や考えをコーチが把握し、選手に教え伝えるやり方だった。選手にとっては「やらされる」のだが、監督に強烈なカリスマ性、実績などがあれば比較的早く結果が出た。「結果こそ全て」と考える父兄も多く、結果さえ出れば監督を支持し、結果が出なければ監督批判をする。そんな感じだった。良くも悪くも監督に依存。それがこれまでのスポーツだった。

最近の部活の指導はその逆。選手を頂点に、その下にコーチ、最下部に監督がいる、まさに逆ピラミッド型の方式に変わってきている。選手が目標を設定し、その目標達成のためのサポートを指導者が行う「ボトムアップ」と言われるやり方だ。練習メニューや試合における戦術も選手が決める部活もあるようだ。この場合、選手に求められるのは「自主自立」。自ら考え、行動する姿勢が求められる。現在、実施中の学校教育改革で重視されているのもココ。子供たちの自主性を育むための教育が実践されており、これが部活にも反映されているとみて間違いないだろう。部活での一場面を切り取っても、今までなら監督が直接選手に指示を出していた場面でも、選手に気づきを与え、選手間で指摘し合うよう促しているように感じる。こうなると、選手の意識も「やらされている」から「やる」に変わる。もちろん、指導者による技術指導や、進行方向がズレた際の軌道修正は必要となるが、選手が前向きに取り組むことで、社会性を育み、人間的に大きく成長することは間違いない。技術的な成長速度が上がる可能性も十分にある。学校教育と競技スポーツが連動しているのは部活ならではの利点と言えるかもしれない。

その一方、父兄の在り方には大きな変化が見られない。結果を重視するあまり、監督の采配や、チームメイトの取り組みなどが気になって仕方がない。結果を求めるのは、実際にプレーする選手たちのみ。指導者も、そして父兄も、それをサポートする役割のひとつに過ぎない。父兄の立ち位置は、逆ピラミッドとなった組織をぐるっと囲うように包み込む存在。選手や指導者がやりやすい環境を作ることが役割となる。

選手は結果に一喜一憂する。スポーツに勝敗がある限り、それを追い求めるのは選手として当然のこと。父兄が見るべきポイントは「子供の成長」。そのスポーツを頑張ったことで、どんな人間性を得ることができたか、いかに成長できているか。過去と比べられるのは父兄のみ。入学時と比べて、「謙虚になれているか?素直になれているか?朗らかになっているか?」。もしそうなっているのであれば、子育てという勝負には勝っている。義務教育最後の夏。子供の成長をしっかりと見届けて欲しい。



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