[第4話]不運の先の気付き
22時30分。
やっと携帯が鳴った。
1時間30分くらいで終わるといっていた手術だが、開始時刻から3時間が経過していた。
「どうだった?」
恐る恐る嫁さんに聞いた。
「一応、成功だって…」
「あ、そう…」
歯切れの悪さが気になったが、あえて聞き直さなかった。
「明日退院するかもしれないから、持ってきて欲しいものメールしとく…」
そう言うと嫁さんは電話を切った。
いまだ引きずっていた。
なぜコウタだけを置いてきてしまったのかと、ずっと後悔の念に襲われていた。
コウタひとりを残して旅行にきてしまった罰だとずっと思っていたのだ。
心配な気持ちと、自分を責める気持ちが入り乱れ、心はズタズタになっていた。
今の嫁さんとしては、手術が無事終わったということだけが心の拠り所だった。
程なくしてメールが届いた。
準備する物を確認し、床についた。
が、一向に眠れない。
なんとか眠りにつこうと目をつぶってみるのだが寝付ける気配がない。
仕方なくリビングに戻り、ビールの栓を抜いた。
アルコールの力を借りて眠ろうとしたのだ。
テレビを付けるわけでもなく、音楽を聴くわけでもなく、ただただ一点を見つめたままビールを体内に流し込んだ。
気が付くと涙がこぼれていた。
ドンくさいコウタが、一生懸命野球の練習している姿が次から次へと頭に浮かんできた。
捕れなかったフライを初めて捕れた日を、初めてバットにボールが当たった日を、毎日欠かさずやっていた素振りを、遠投で初めてネットを越えた日を、足が遅いからって言って行なっていた坂道ダッシュを、器具が壊れるまでやったティーの練習を、コントロールを良くしたいからって言ってやってた壁当てを、さまざまな光景が次から次へと鮮明に甦ってきた。
拭っても拭っても涙は溢れだし、気付くと嗚咽していた。
そうこうしてるうちに、夜が明けた。
平成22年8月22日。
10時頃、メールが鳴った。
やはり今日退院することになったようだ。
迎えに行く準備を始める。
コウタの下着と短パン、サンダルをバッグに詰め込み家を出る。
「普通の服着られないから、途中で服買ってきて。ボタンで袖が広い服」というメールの内容に従い、ボタンで袖が広い服を2着購入し病院へ。
11時15分頃。
病室へ着くとコウタと嫁さんが待っていた。
コウタは両腕とも、肩付近から手首にかけてギブスで固定されていた。
その姿だけで、事故の壮絶さが十分伝わってきた。
「コウタ手術どうだった?」
恐る恐る聞くと
「麻酔してたから全然痛くなかった!」
拍子抜けする程、元気な返事が返ってきた。
元気を装うコウタを見て、昨晩メソメソしてた自分が恥ずかしくなった。
買ってきた服に着替え、退院のためフロントへ。その間もコウタはずっと野球の話をしていた。
「早く直して野球やりたいなあ」
「よし、じゃあ怪我する前よりも凄い球投げれるようにもっと頑張ろうね」
コウタの気持ちが切れないように話を合わせる。
これが唯一、コウタのためにできることだった。
退院の手続きを終え、車に乗ると、相当疲れていたのだろう。
コウタはすぐに眠った。
コウタが寝たの確認すると、嫁さんに手術の状況を聞いた。
「右腕は思ったよりも傷が深くなかったから、筋肉も神経も元の状態に戻るって。ただ、めくれてる皮は再生しないかもしれないって」
傷が浅かったのは何よりだが、皮がそんな状態になっているとは。
大きなアザと一生付き合っていかなければならない。
「左手首はボルトを入れずに済んだ。骨が粉砕してなかったみたいで…」
少しホッとした。
コウタの利き手は左。
粉砕して動かなくなる可能性もあったからだ。
「でも神経はかなり損傷してるみたい。再生はするらしいけど、どこまで再生できるかは分からないみたい。成長を司る神経が傷ついてるから、右手に比べて少し短くなるかもしれないって。さらに痺れがずっと残るかもしれないって」
「…」
手術は成功した。
が、肝心の左手の状態はあまり良くないようだ。
まあ、粉砕してなかっただけ“ツイてる”と思うほかない。
話を聞いている間に家に着いた。
「腹減った!」
いきなり目を覚ましたコウタが叫んだ。
用意してあった弁当をコウタに差し出す。
スプーンを手にし口に運ぼうとするが、運べない。
運べないというよりも持てない。
両腕を肩口から手の甲までガッチリギブスで固定されているため、スプーンすら持つことができない。
仕方なく嫁さんがスプーンでご飯をすくい、コウタの口へと運ぶ。
お茶はペットボトルにストローを差込み、嫁さんがコウタの口へと運ぶ。
もちろん、トイレにも一人で行けない。
何もできない自分にちょっとイライラしている様子だった。
食後、コウタは再び眠った。
14時30分頃。
「ピンポーン」
家をチャイムが鳴る。
誰かが来たようだ。
玄関へ行くと男の子が複数立っている。
コウタの野球チームの同級生の子達だ。
退院したという話を聞きつけ、お見舞いに来てくれたようだ。
「ありがとね。さあ入って」
家の中へみんなを招き入れる。
「お邪魔しま~す!」
元気いっぱいにリビングへと入ってきた。
コウタは笑顔でみんなを迎え入れていた。
だが、その表情とは裏腹に、両腕が肩口から手の甲までガッチリとギブスで固定されたその姿は、彼らの想像を遥かに凌ぐほど痛々しく写っていたのだろう。
表情が一変した。
ほとんどの子がコウタを直視できない。
コウタがいくら話しかけても、目をそらしたまま相づちを打つ程度。
たぶん同じ野球をしている仲間としてわかるたのだろう。
コウタの状態がどれほど酷いかが。
「今度の試合がんばってよ!」
コウタが笑顔でみんなに声を掛けた。
「ファースト誰がやるのかね?」
左利きのコウタは外野かファーストを守ることが多い。
しかし自分のポジションを誰がやるのか気になったわけではない。
“しょぼん”としているみんなを元気付けたかったのだ。
「オレは絶対戻るから!」
そう言っているようにも思えた。
精一杯明るく振る舞うコウタを見て、
次第にみんなも話をするようになっていった。
なんか感動的な光景だった。
困難な状況でも塞ぎ込むのではなく、常に前を向き続ける。
起こったことはしょうがない。過去を嘆くのではなく、現状から何ができるのかを考える。
それこそが困難な状況を抜け出す唯一の道。
それをコウタに気付かせてもらった。
程なくしてみんなは帰っていった。
部屋に戻るとコウタがスクワットをやっていた。
骨には異常がなかったものの、傷跡が鮮明に残っている足でスクワットをやっていた。
「今のうちに足を鍛えなきゃ!これから毎日30回を2セットやるから!」
何を馬鹿げたことを、と驚きつつも、親として嬉しかった。
事故にあったことは不運だった。
でも悪いことばかりではない。
困難な状況に陥った時でも、前を向ける息子を持ったことに気付くことができたのだから。
「よし!次は家の周りを走ってくる!」
さすがにこれは嫁さんに“こっぴどく”怒られていたが…