親が知らない間に、子供は大きく成長しているし、どんどん大人になっていっている。それだけで十分すぎるほど意味があるはずなのだから。
中学3年間の意味!
編集長のひとりごと
前回号、今回号の2号に渡って、新人戦の結果を元に、夏季大会の注目チームとして『列強列伝』という企画を行った。毎年行っている企画のためか、「間もなく夏が来るな」のいう雰囲気になる。注目選手として数多くの3年生に話を聞くのもこの企画の特徴。堂々と、自信満々に、しっかりとした口調で取材に受け応えしてくれる3年生を目の当たりにすると、中学での成長を伺い知れる。集合写真の時に伏せ目がちになったり、顎を突き出したりするのは大体1年生。ほとんどの3年生は朗らかな表情で写真に写る。ここからも成長が伺い知れる。
10年ほど前、息子と娘も中学生活最後の夏を迎えた。野球部だった息子は県大会出場を目指したが、初戦でいい所なく敗戦。あっという間に最後の夏は終わった。娘はというと、全国大会出場を目指したが、地区予選を迎える頃からチームが少しずつおかしくなり、県大会のベスト16であえなく敗れ、目標は叶わなかった。中学生という多感な時期だったこともあり、「何を話せばいいのか分からない」と思うことも多々あったが、部活動があったお陰で、会話をしたり、目に見える形で応援できたりした。健全な親子関係だったように思う。早々に最後の夏を終えた二人だったが、早々と高校でも部活動を継続することを決意。健全な親子関係はその後も続くことになる。
最後の夏、子供たちは遮二無二結果を追い求める。チームとしての最高成績、自己ベストの更新。現役選手である限り、結果を追い求めるのは明らかに正しい。しかしながら、親はその限りではない。一緒に頑張る。もちろんそれはいい。ただ、時として、親の方が結果を求める、求めすぎることもある。
よくあるのが誹謗中傷。確かに他チームへの野次は大きく減った。ただ、自分の子供に対して、自分のチームに対して、さらには審判に対しての野次はいまだに多い。「我が子に言ってるだけだからいいだろう」と言われるが、いいはずがない。部活動を頑張った子供だからこそ手にした最後の舞台。それは何人たりとも邪魔をするべきではない。最高の結果を残すためにこれまで努力を重ねてきたはず。最後の大会こそ、子供たちの手に返すべきだ。親の罵声は必ず子供に届く。すると子供は親と戦い出す。目の前に対戦相手がいるにも関わらず。そしてその雰囲気は間違いなく一緒に頑張ってきた仲間にも伝染する。その結果、最悪の状態で試合終了のホイッスルを聞くことになる。
「結果が全てではない」。それは現役選手に当てはまる言葉ではない。親にこそ当てはまる言葉だ。本人は現役を終えて、数年後に、もしくはいつかきっと気付く。一方で親は常に懐に忍べせておくべき言葉である。結果が全てではない。これまでの取り組みの中に大事なモノが詰まっている。それをしっかりと見届けることが親のできる唯一の役割なのだ。
中学1年生の頃は睨みつけるように写真に写っていた。そんな子が3年生になると朗らかな笑顔で写真に写っている。親が知らない間に、子供は大きく成長しているし、どんどん大人になっていっている。それだけで十分すぎるほど意味があるはずなのだから。