出る出ないよりも大切なこと、それは積み上げた努力があるか、そしてそれをしっかりと評価してあげる人がいるかどうかだ。

編集長のひとりごと

さまざまな競技で、“夏の前哨戦”が行われている。数ヶ月前までのことを考えれば大会があってくれることはありがたい。ただ一方で、父兄の応援にはまだまだ制限がある。 中学3年生にとって、この夏の大会は中学最後の大会。“次の大会”などはない。そしてそれは、中学3年生を子に持つ親も同じ。今年の夏を逃したら、もう“次”はない。「高校があるじゃないか」という声も聞こえてきそうだが、もちろん高校もある。ただ、高校生、とくに高3年にもなれば心も体もほとんど大人。“親子の関係”で見られるのは、中学3年が最後かもしれない。そう考えると、この夏の大会には観客の制限がなくなり、父兄の皆さんが子供たちの応援ができるようになってくれたらいいのになと思う。

以前の話になるがこんなことがあった。「ウチの子、中3だけど、試合に出ないから見に行かない」という親と出会った。「じゃあ、今日はなぜいるのか?」と尋ねると、「当番だから」と返ってきた。来た所で試合を見るわけでもなく、ひたすら誰かと話していた。その流れで声を掛けられてしまったのだ。愚痴はさらに続く。「ウチの子は監督に嫌われている」、「ウチの子よりも上手くない下級生が出てる」、「あの時、ウチの子は怪我をしてたから調子が悪かった」などなど、出るわ出るわ。途中、一言言ってやろうかとも思ったが、やめた。「こんな人に言ってもばからしい」。余程親しければ言ったのだが、そもそも親しくもない。

その人の子供がやっているのはチーム系スポーツ。この場合、組織として力が発揮するスキルが求められる。当然ながら、役割はそれぞれ異なる。試合に出る子にも役割があるし、試合に出ない子にも役割はある。そして部活動の場合、親もこの組織の一部。親が自分の役割を果たせないと、チームは瞬く間にバラバラになる。この役割を理解していない親は結構多い。「子供がやってるんだから親は関係ない」とこの類の人は言うが、それは違う。

例えばだが、先に書いた監督や後輩批判。それをそこまで親しくない人に言ってきたのだから、当然、家庭でも言っているだろう。それを聞いた子供は、「私が悪いんじゃなく監督が悪いんだ」と思うようになるだろうし、保身のためそれを周囲の人にも言うだろう。結果、努力を怠り、人のせいにする習慣が身に付いてしまう。その習慣は周囲にも伝染し、同じ方向を向いていたはずのチームがバラバラになる、といった具合だ。原因は子供ではない。批判を繰り返す親にある。

その人の子供はコートの中にいた。控えメンバーが手を叩き、出場選手を鼓舞する中、その子はただただ突っ立っていた。他の子たちはボールがそれればすぐさまボールを拾いにいっていたが、その子は微動だにしなかった。たぶん、誰が監督だろうが、その子は使わない。人のせいにする習慣が付いてしまっている。親が子供の可能性をひとつ潰した。

最後の大会、自分の子供が試合に出る姿は誰しもが見たい。だが、組織として戦う以上、それが叶わないことも多々ある。出る出ないよりも大切なこと、それは積み上げた努力があるか、そしてそれをしっかりと評価してあげる人がいるかどうかだ。我が子が頑張ったかどうかは親ならわかるはず。「ここまでよく頑張った!最後までチームのために頑張ろう!」。この言葉があれば、子供はチームの中での役割を見つけられる。この声掛けこそが、親に求められる役割なのだ。

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