人生の応援団。

編集長のひとりごと

年が変わっても次から次へと問題が吹き出すスポーツ界。アメフトに始まり、レスリング、相撲、体操、野球、バスケ、バレー、ボクシング、そして陸上。ありとあらゆるスポーツで問題があった。それらのほとんどは監督と選手の間で起こったものだ。

「忖度」という言葉がブームにもなったが、個人的には、スポーツ界にも忖度はあると思う。監督が持つ一番の権力は「人事権」。誰を使うかは全て監督に委ねられている。大学以上の選手にとって、試合に出るか出ないかは死活問題。試合で使ってもらえるためなら何でもやると言っても過言ではないかもしれない。試合に出たいがために、殴られても耐え、非効率な練習にも文句を言わず取り組み、監督の機嫌をうかがう。今しかない選手生活を全うするため、周囲の期待に応えるために必死なのだ。一方で、監督にとって選手はただの「駒」。自分の名声を高めるための道具にすぎない。試合に出るのは誰でもいい。自分の思い通りになればそれでいい。思い通りにならなければ、平気でその年を“捨てる”。この両者の考え方の違い、立場の違いが忖度を生みだし、問題へと繋がる一因になっている。

ただこれは、大学や社会人スポーツに限った話ではない。少年団、中学、高校の部活にも存在する。試合中に監督から罵声を浴びせられ泣きながらプレーする子、練習でずっと裏方をやらされ練習試合ですら使ってもらえない子、下級生ばかりが重宝され試合に使ってもらえない上級生。一方で、片付けをしなかったり、宿題を提出してなかったり、練習をサボっていても使われ続ける子がいたりする。監督が何故その子を使い、何故その子を使わないのか。それは人事権を持つ監督しか分からない。監督しか知り得ないのだ。

監督の持つ人事権は強力で、絶対的であるがゆえ、忖度が生まれ、問題が起きる。

これを回避するためには説明が不可欠。誰が見ても生活態度が良く、プレーも抜群であれば説明は不用だろうが、多くの場合は説明がほしい。いや、してほしい。選手はもちろんのこと、親にも。親に関してはその都度言う必要はないが、選手を選ぶ基準くらいは知りたいと思う親がほとんどだろう。総会や懇親会などで、ぜひ話していただきたい。選手に対しては、努力すべきポイントを提示してあげてほしい。

例えば、試合に出場できない選手が、監督から「君は○○が足りないから今回は控えに回ってもらう。○○が出来るようになったら試合で使うから」と言われたらどうだろう。練習でその足りない部分に取り組むはずだし、改善が新たな目標となる。それを口にした監督はその選手の取り組みに注視するはずだ。それまでは全く目に入っていなかったとしてもだ。権力で上から抑えつけ、「やらせる」のでは信頼関係など築けない。選手に寄り添い、下から選手を「支える」ことこそ監督の役割であるはずだ。その先にこそ信頼関係が生まれる。監督を社長に置き換え、部活を会社に置き換えれば、仕事上でも同様のことが言える。「最近の若いヤツはダメだ」などと言っていては信頼関係など築けるはずもない。

監督と選手、そして親の三方向が上手くコミュニケーションをとれていれば、子どもはきっと目標を持ち続けられる。そこには忖度や問題などきっとない。

監督も親も同じ大人。子どもの可能性を広げる“人生の応援団”であるべきだ。

発行情報 浜松英会話アカデミー とんきい

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