子供に目標がある限り

編集長のひとりごと

中体連夏季大会が終わり、間もなく新人戦が始まる。

三年生およびその父兄にとってはかけがえのない時間が終わり、二年生とその父兄にとってはかけがえのない時間が始まる。

かくゆう私も、かけがえのない時間が終わった“三年生の父兄”だ。

娘はバレーボールをやっていた。

始めたのは小学四年生。きっかけは、そのチームの卒団旅行が“ナガシマスパーランド”だったから。「友達と一緒に、遊園地で遊びたいから」という理由でバレーボールを始めた。子供にはスポーツをやってほしかった私は、理由はさておき、始めてくれて嬉しかったのを覚えている。

年子で兄がおり、その兄が野球をやっていたため、私が兄の野球へ、嫁さんが娘のバレーへ行っていた。そのため、娘のバレーを観たことがほとんどなかった。聞くところによると、娘の所属していたチームは勝利を目指すチームではなく、みんなで楽しくプレーすることに主眼を置いていたようで、「勝った」という話をほとんど聞いたことがなかった。

そんな娘だが、中学になってもバレー部に入った。

そのバレー部は、小学校までと違い“強豪”。何年も連続で『東海大会』に出場しているようなチームだった。

入部の理由は、「仮入部の練習が楽しかったから」。たぶん、どこの部活も仮入部の期間は一年生に優しくするのだと思うが…。とにかく、なんとなく、深い理由もないままではあるが、バレーを続けてくれた。

中学では、今まで楽しくやっていたバレーとは一転、厳しく、辛い練習を強いられた。学校生活でも模範となることを求められ、お調子者の娘は、学校生活の面で、度々大目玉を食らうことがあった。

体育館の壁には、常に、大きな模造紙に、大きく太い文字で目標が貼られていた。

ひとつには近々の大会での目標とカウントダウン、ふたつ目には『東海大会出場』、そして三つ目には、その年に最強チームを倒すべく、『打倒○○』と書かれていた。

短期目標と、中期目標、長期目標が明確に記されている大きな紙を、誰もが見えるところに貼ってあった。毎日それを見ながら、厳しい練習に耐え、結果を追い求めた。

達成できたモノもあれば、達成できなかったモノもあったが、努力の先にある“世界”を見ることができた。

数ヶ月前までは、家から近くの高校に行きたいと言っていた。理由は、「制服がカワイイから」。まあ、彼女らしい理由だと思った。

だが部活が終わる頃、彼女の考えは大きく変わっていた。

「バレーの強い高校に行きたい」。そう言うと、紙に大きく太い文字で『行くぞ!○○高!』と書き、リビングの見える所に貼った。

部活の時と同様に、大きく目標を書き、見える所に貼った。

目標を設定し、それを口にすることはとても大事なことだと思う。

口にすることで、「絶対達成する」という意欲が生まれ、それに向かって努力することができる。

その努力の先にこそ、成果がある。

彼女はそれを中学の部活で学んだ。努力が全て好結果を生み出すとは限らない。だが、努力しなければ何も始まらない。それを部活で学んだ。

親がやれることはただひとつ。

無条件に、子供の味方であることだ。子供を信じ、努力の過程を観察し、その過程を評価してあげることではないだろうか。進学に際して、親御さんと意見が食い違うこともあるだろう。

だが、子供に目標がある限り、支持してほしいと思う今日この頃である。

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