[第6話]帰るべき“場所”
8月25日。
この日は通院。
右腕のギブスを一旦外して様子を見ることになっていた。
傷口を確認し、皮膚の再生を確認。
当初は、右腕のめくれ上がった皮膚は再生しない可能性があったが、少しずつ再生しているらしい。
事故後、はじめて右腕を見た嫁さんは「思ったよりヒドイ…」と言っていた。
話を聞くと、「皮膚が溶けているような感じ」らしい…
それでも経過は順調で、来週抜糸する予定になった。
(ホッ)
8月30日。
この日は2学期の始業式。
しかし、両腕がギブスで体操服が着れず、ひとりで食事も、トイレも行けないコウタは、先生と相談して休むことにした。いつも喧嘩ばかりしている妹が学校に行っているため、どことなく寂しそうだ。
9月1日。
この日も通院。
いよいよ右腕のギブスを外し、抜糸。
まずは、肩まで続くギブスを、ピザを切るカッターのようなものでキレイに断裁。
その後、一本ずつ丁寧に糸を抜いていく。全部で30針以上縫ったので、抜糸にも時間がかかる。
予定時間を大幅に過ぎたものの、無事抜糸終了。
右腕がギブスをしていた期間は“わずか”10日間。
「順調、順調!」
と言いたいところだが、そうでもない。
わずが10日間ギブスをしていただけにも関わらず、コウタの右腕の筋肉は削げ落ち、細くなっていた(そもそも細いのにさらに細く…)。
縫った後は痛々しく、皮膚の一部は再生できずにいる。
「今色が変わっている皮膚はそのままらしいよ。日焼けした時に他と色が変わるって…」
嫁さんがボソリとつぶやく。
ただ、本人は右腕だけとはいえ、ギブスが取れて上機嫌。
嫁さんに隠れて“ちょっとだけ”キャッチボールをしてみた。
右手で捕ってはグローブを外し、小脇に抱えて右手で投げる。
近い距離から、ソ~と下から投げたボールを嬉しそうにキャッチする。
「ちょっと上から投げてみて」
言われるがままにボールを投げる。
そんなことをしばらくの間繰り返していた。
両腕がギブスだったため、休んでいた学校だが、右腕が外れたことでひとりでトイレに行けるため、明日から登校することになった。
ただ、骨だけになったように見える右腕。
ギブスをしていたのはわずかに10日間。
にも関わらず、こんなにも細くなってしまった。
ギブスが取れるのはまだまだ先となる“利き手”の左腕はどうなってしまうんだろう…。
「あ~、早く学校生きたいな~」
親の心配をよそに、元気なコウタが救いである。
9月2日。
外は久しぶりの雨。
だがこの日、みんなから遅れること三日。
いよいよ2学期初登校だ。
外は雨だが、晴れ晴れとした気分。
嫁さんが送り迎えをする以外は、いつも通り元気いっぱいで学校へ行った。
9月4日。
明日は、コウタが所属する少年野球チーム、三ヶ日フレンズのジュニア(5年生以下)大会。
5年生のコウタたちが、初めて中心となってプレーする大会だ。
コウタはこの大会を凄く楽しみにしていた。
この大会に出るために一生懸命練習していた。
コウタが出るはずだった試合。
ひょっとしたら投げたかもしれない。
だがそれは全て叶わない。
ジュニア大会は運営を5年生の親が中心で行う。
そのため「息子が怪我でいないから、行きません」は全く通用しない。
当然、試合の運営のため朝早く家を出る。
「コウタ、明日の試合だけどどうする?見に行く?」
家を出る前にコウタに聞いた。
自分が出るはずだった試合。
「行かない」と言ってもおかしくはない。
そういう返答だと思ったが、“一応”聞いてみた。
「そりゃ行くよお」
コウタは当たり前のように“試合を見に行く”と言った。
くどいようだが、コウタは行っても試合には出られない。
遠くから、真剣勝負をする仲間たちを見ている他ない。
今まで自分が守っていたポジションにはほかの人がいる。
今までキャプテンで挨拶をしていたが、別の人がキャプテンをやっている。
そんな光景は見たくない。
しかしコウタは「見に行く」と言った。
9月5日。
ジュニア大会当日。
会場設営のため朝7時半に会場入り。
試合は9時からだったため、コウタは祖父に送ってもらい、9時直前に会場に着いた。
この試合での仕事は“SBO”。
審判のコールに合わせて“ストライク”、“ボール”を掲示板に反映させる役。
バックネット裏に位置取っている。
コウタはベンチの向こう側、一番遠く離れた場所に腰を下ろした。
午前9時。
「プレイボール!」
一番気になっていたキャプテンには同じ5年生の“ユウ”が命じられ、コウタが守るはずだったファーストには、これまたユウが入った。
“ホッ”とした。
ユウは5年生の中で一番“走攻守”に優れた選手。
本来はセンターやセカンドなどチームの中枢を担う好選手で、6年生の試合にも毎試合スタメンで出場している。
そんな彼がファーストを守ってくれた。そういう選手じゃないと任されないポジションということだ。
試合は終始フレンズペース。
相手のミスに乗じて点数を積み重ねていく。
しかし肝心の5年生に“アタリ”が出ない。
特に“コウヘイ”はここまで2打数2三振。普段は思い切りのいいバッティングを見せ、長打も打てるのに、この日は全く精彩を欠いていた。
コウヘイは家が近く、いつも家の裏の広場で一緒に野球をやっている“仲間”だ。野球の練習もいつも一緒に自転車で行っている。
迎えたコウヘイの第3打席。
元気なく打席へと向かう。
ベンチも元気がない。
「…おねがいします…」
蚊の鳴くような声で審判へ挨拶し、打席へ入った。
「プレイ!」
審判の声だけが響き渡る…
端から見ても、打てる気配がない…
(この打席もダメだな…)
心の中でそう思いながら打席を眺めた。
すると、遠くから大きな叫び声が聞こえる。
「コウヘイさん、絶対打てるゾ!甘い球は初球から行けぇ!」
(誰だ?)
慌てて声がした方向を見ると、コウタが立ち上がって声を張り上げていた。
てっきり黙って試合を見ていると思った。
4年生の時、コウタが親指を骨折したことがあった。
その時は“無理矢理”試合を見に連れてったのだが、その時は遠くから黙って試合を眺めているだけだった。「監督に挨拶してきたら?」と言っても、「いいよ。もう帰ろ…」と、誰とも顔を合わせずに帰ったことがあった。
だから今回も“黙って”眺めているだけだと思ったいた。
しかし今回は声を出して応援している。
ベンチの子よりも大きな声を出して応援している。
1年前は声も出さず、誰とも会わずに“そっと”帰った。
しかしそれから“わずか”1年で別人のように声を出している。
なんか嬉しかった。
今までは、チームに対して、どことなく遠慮しているような感じがしていた。
コウタだけではない。
親もだ。
それがこの瞬間、大声で声援を送るコウタを見て思った。
三ヶ日フレンズが自分のチームになったのだ、と。
このチームこそが、コウタの“帰るべき場所”なのだ、と。
思えば、親指の骨折が直ってから、野球への取り組みが“急激に”変わった。
毎日走り、毎日バットを振り、毎日グローブを磨いた。
その日々の鍛錬のお陰か、野球の技術も“急激に”伸びたような気がする。いや、伸びた!
バットの振りは“明らかに”鋭くなり、投げるボールは“明らかに”速くなった。
今回はどうなのだろう。
「伸びが“急激”だった子は、怪我などでできなくなると“急激”に落ちる」
大人気だったバスケット漫画で、顧問の太った先生が、怪我をした主人公にこんなニュアンスのことを言っていたのを、なぜか思い出した。
試合は5回コールドでフレンズが勝った。
試合後、コウタは監督に“挨拶”に行っていた。
監督は笑顔でコウタと話していた。コウタも笑顔で応じる。
気付くとコウタを中心に輪ができ、我先にとコウタに話しかける。
みんな“笑顔”になっていた。
コウタは素晴しい経験をしている!
立派な人間になるため、素敵な男になるための“貴重な”経験をしている!
「困難を乗り越えることで人は大きくなる!」ことを見せてくれている!
バスケ漫画の主人公はその後どうなったのだろう?
復活できなかったのだろうか?
それとも、復活できたのだろうか?
コウタはきっと復活する!
それももっと大きくなって!
そんなことを実感できた“いい”一日だった。