“目標”と“目的”。

編集長のひとりごと

中学の新人戦地区大会、西部大会も終わり、競技によっては秋季大会が行われている。

先日、野球の秋季大会を見学に行ったのだが、そこで気になることがあった。試合は最終回裏ワンアウトランナー2塁。守備についているチームが2点をリードする状況。ここで打者が放った打球が鋭いライナーとなってショートへ飛ぶ。走り出すランナー。グローブを前に出しこれをキャッチするショート。ボールを掴むと二塁へ転送。ダイレクトでキャッチしていればダブルプレーとなりゲームセット。バウンドしていればヒットとなり、1塁と3塁にランナーが残る。勝利を確信する守備側のチーム。観客席の父兄も跳び上がって喜ぶ。しかし、二塁塁審の判定は「セーフ」。ワンバウンドしていたと判定した。怒号が飛び交うグランド。試合は一旦中断し、審判団が集まる。それでも判定は変わることがなく「セーフ」。守備側の父兄の批判は二塁塁審に一斉に向けられた。この光景をバックネット裏で観ていたが、バウンドしているように見えたし、何よりも二塁塁審が最も近く、最も適切な位置、適切な目線でこのプレーを見て下した判定。疑う余地などどこにもない。異様な雰囲気の中試合は進み、2点負けていたチームが逆転サヨナラ勝ちを収めた。試合後も納得が行かない父兄が逆転負けを喫したチームの監督に詰め寄る。「あの判定はおかしいのではないか」と言うために。父兄も勝ちたかったが、監督も勝ちたかった。監督の表情も固いまま。悔しさが顔に滲み出る。ひとしきり父兄たちの話しに耳を傾けた後、監督が言葉を絞り出した。その言葉を聞いて心が震えた。

監督が言った言葉は、「あの子はああいう打球はいつも引いて捕っていたんです。前で捕るように口酸っぱく言ってきましたし、練習でもそれに取り組んできました。それが今日はできた。大きな成長です。子供たちはそれぞれが課題を持って練習に取り組んでいます。チームはまだまだ良くなります。今日は残念でしたが、次の試合に期待してください」

その言葉を聞いた父兄たちは、ゆっくりとその場を離れた。

結果はもちろん大事。勝つことにこだわることがスポーツであることに異論はない。ただ、勝つことはあくまで目標。目的は別の場所にある。この日、このチームは目標を達成できなかった。ただその一方で、監督のこの言葉で、この試合における目的は達成できたように思う。子供が努力の先に掴んだ小さな成功をこの監督は見逃さず、そして評価した。小さな成功の積み重ねがしっかりと評価されれば、それは自己肯定に繋がる。目標のずっと上にある目的。悔しい状況の中で、それをしっかりと評価したこの監督の言葉は、指導者たるものの在り方を示してくれた言葉でもある。

今、中学3年生は大事な2学期の期末テストの真っ直中。高校へはこの学期の内申点が送られる。そして、まもなく行われる学力調査テストの結果を受けて、受験する高校を決断することになる。その点数は希望する高校の点数に届くだろうか。例えば「あの高校で野球がしたい」。その想いは尊い。しかし一回考えてほしい。それは目的なのか、それとも目標なのか。壮大な目的があるのであれば、あの高校に行きたいはただの目標となる。「どこに行くのかではなく、そこで何をするのか」。最も大事にすべきはこれに尽きる。

NPO法人浜松中学野球育成・強化プロジェクト ジョイントプラクティスバレーボール教室 つなぐ

[ad]

関連記事