[第9話]“前を向く”姿勢
9月23日(祝)。
運動会が目前に迫ったこの日も夕方にランニングを実施。
もちろん“コケるの厳禁”のため、運動会では競技には出場しないが、学校自体のテンションが上がっているようで、走りたくてしょうがないようだ。
なので(もはや定番となった)家からお寺へ、そこから牛小屋へと回る周回コースを走ることにした。
目的意識を持たすため今回はタイムを計測。
「ヨ~イドン」
自転車で誘導しながらストップウォッチでタイムを計る。
コウタの激しい息遣いが聞こえてくる。
(よしよし、一生懸命走ってるな)
しかしながら思いのほか“速い”。
ちょっとスピードを落とすと“あっ”という間に抜かれてしまう。
(これ自転車でも結構キツいゾ!)
あっという間にゴールである自宅が見えてきた。
自宅の手前には坂道がある。
ぐる~と回ってきてのこの坂は“相当”キツいはず。
そもそも自転車でもキツい。
坂道に差し掛かり、腰を上げて自転車をこぎ出した途端、コウタが“ダッシュ”!
“あっ”という間に自転車を抜き去ってゴールした。
慌ててストップウォッチを押すとタイムは6分30秒。
これが速いのか遅いのかは分からない。
今後も定期的に測定していこうと思う。
その日の夜、寝室に子供たちと一緒にいると、コウタが「本読みカード」の記入を求めてきた。
本読みカードは学校の先生と親とのコミュニケーションツールのようなもので、学校での様子が書いてあったり、親から先生へのお願いを記入したりする用途でも使われている。
親の記入欄には“決まって”「OK」と書いていた。
しかし、この日はコウタが
「先生の言葉をちゃんと読んでから書いて」
と言ってくるので、先生からの言葉を読むことにした。
そこには、
「運動会でコウタくんも徒競走を走りたいと言っています。一番後ろをゆっくりと走らせたいのですが、いかがでしょう?」と書いてある。
「えっ?コウタ走るの?」
「みんなとぶつからないように、3秒くらいしてから走り出すからいいでしょ?」
しれっと言った。
「お母さんは知ってるの?」
「知ってる。いいって言ってたよ」
真偽のほどはわからない。
そもそも両手、特に左手は“まだ”完治していない。2kg以上のものを持ってはいけない状態。
仮にコケたりもしたら一大事だ。
「絶対に3秒後にスタートしてよ!」
念を押して渋々本読みカードにサインをした。
9月25日(土)。
運動会当日。
前日の雨も上がり、絶好の運動会日和。
近所の子たちの撮影を一手に託されたため、一眼レフ片手に会場内を走り回る。
そんな中、コウタたち5年生の徒競走が始まった。
そもそも走る予定がなかったコウタは、野球のチームメイトがたくさんいるメンバーの所に“5人目”(通常は4人で走る)として参加。
みんなの撮影を頼まれたため、ゴール地点でカメラを抱えて待機しているものの、とにかくコケないかが心配で仕方ない。
“ズレ”てスタートするとしても、「コケるのでは?」という不安がつきまとう。
「ヨ~イ、ドン」
徒競走が始まった。
「おいおいコウタ走っちゃってない?」
3秒後にスタートすると言っていたコウタは“ほんのわずか”遅れただけで、ほぼ一緒に走っている。
そのままカーブに差し掛かり、ゴールに向かってきた。
「何やってんだ~!スピード落とせ~!」
叫び声が聞こえたのか、バックストレートでスピードを落とし“無事”ビリでゴール。
ゴール手前では“笑顔”を浮かべていた。
みんなと一緒に走れたことがよっぽど嬉しかったのかもしれない。
何が嬉しいのかがわからなかった。
そもそも自分がコウタだったら「ビリでいいから徒競走出たい」なんて言っただろうか?
この日は運動会だ。
見ているのは自分の親だけではない。コウタの状態を知らない人もたくさん来ている。そんな人たちがたくさん見ているのにビリが確定している徒競走に出たいと思うだろうか?
たぶん出ていない、いや“絶対”出なかった。
出場すれば恥をかくだけだ。
しかし、コウタは“自ら”出たい、と言った。
単純に運動会という行事に参加したかっただけかもしれない。ただただ走りたかったかもしれない。理由は分からないが、コウタは“恥”を晒しても出ることを選んだ。
コウタが走り終わった後、実行委員として運動会に参加していた野球チームのコーチが笑顔で声を掛けてきた。
「コウタ、走れるようになったじゃないですか!」
「いや、まだ走っちゃダメなんですけどね…」
そんな会話の中で“ふっ”と思った。
コウタは自分が回復してきていることを見せたかったのかもしれない、と。
事故から立ち直っていく自分の姿をお世話になっている人たちに見せようとしたのかもしれない。
きっと買い被りすぎだろう。
そんなことは微塵も思っていないだろう。
でも、「そうに違いない!」と思ってしまった。
そう思うと、「出たい」と言ったコウタが誇らしく思えてきた。
今自分ができることを探し、それを実践する。分かっていても、大人ですらなかなかできることではない。コウタの“前向きさ”は素晴しい。
勝手にそんなことを思っていた。
運動会のメイン「組み体操」の前に、5年生と6年生全員で「よさこい」の披露が行われた。
レンズ越しに近所の子を探していると、一番後ろにコウタの姿を見つけた。もちろんこれも参加の予定はなかった。もちろん練習もしていない。
みんなの動きを真似ながら、一緒に「よさこい」を踊っていた。
いま自分ができることを探し、それを実践する。
苦境の中でも前を向き、少しずつでも進もうとする姿勢が感じられた。
コウタに大事なことをまた一つ思い出させてもらった気がした“いい”運動会だった。