これまでの戦い方について「あーだこーだ」言うつもりはない。 大事なこと、評価の対象はこれからだ。 森保監督には知見を示してほしい。 あなたが監督で良かったのだと、我々に思わせてほしい。

サッカーワールドカップカタール大会が今日、始まる。

日本からすると、フランス大会、日韓大会、ドイツ大会、南アフリカ大会、ブラジル大会、ロシア大会から7大会連続7回目の出場となる。これまでの日本代表を、監督から振り返る。

オフト(1992.5~1993.10)
基本フォーメーション4-4-2(中盤ダイヤモンド型)

日本サッカーの近代化は、1992年に“初の外国人監督”として来日したハンス・オフトに始まる。
アメリカ大会を目指し、「スリーライン・トライアングル・スモールフィールド」など、今となっては当たり前となった約束事を日本に持ち込んだ。基礎を築いたとも言える。
「ドーハの悲劇」により本大会出場はならなかったが、三浦和良(静岡学園)、中山雅史(藤枝東)、長谷川健太(清水東)、堀池巧(清水東)、松永成立(浜名)と静岡県出身の選手がスタメンに名を連ね、個人的には最も思い入れのあるチームだった。

ファルカン(1994.5~1994.10)
基本フォーメーション4-4-2(中盤ダイヤモンド型)
次に監督となったのはファルカン。“黄金のカルテット”と言われ、歴代最強と言われたブラジル代表の中盤をジーコなどと共に担った世界的スーパースター。日本サッカーの国際化が一気に進んだように感じ、心底ワクワクした。岩本輝雄や名塚善寛などの新しい選手が次々と招集されたが、「スターシステム」を推奨したい協会と合わなかったのか、数ヶ月で解任された。

加茂周(1995.1~1997.10)
基本フォーメーション4-4-2(中盤ボックス型)
「フランス大会出場の命題」の元、監督に就任したのは、当時の“日本人ナンバーワン監督”加茂周。「ソーンプレス」という、当時の世界のトレンドの戦術名を巧みに操り期待感を煽ったが、中身が追い付かず予選中に途中解任。

岡田武史1次(1997.10~1998.6)
基本フォーメーション3-4-1-2

加茂周の命題を引き続かたちで就任したのが、当時コーチだった岡田武史。メンバーとフォーメーション(3-4-1-2)を固定し、「ジョホールバルの歓喜」により本大会に出場。ただ、本大会では、アジアと世界の戦い方の違い、経験値の少なさによりあえなく敗退。中山雅史のゴールが唯一の救いだった。

トルシエ(1998.10~2002.6)
基本フォーメーション3-4-1-2

自国開催となる2002年に向けて招聘されたのがフィリップ・トルシエという聞いたこともないフランス人(ベンゲルに打診したが断られ紹介されたらしいが…)。「私には500ページのサッカーの教科書がある」と豪語し、ユースから五輪、A代表に至るまで、各世代の代表監督を兼任した。その教科書を開くと「フラット3」というページが登場。それは斬新に映り、その後のカリキュラムにも期待したが、最後まで、そのページ以降が開かれることはなかった。ただ、選手層は日本史上屈指。“黄金世代”と言われたそのメンバーには、小野伸二(清水商業)や高原直泰(清水東)をはじめ、その後の日本代表の中核を担う選手が数多く選ばれていた。
ただ、今思えば「規律」を代表に持ち込んだ彼の功績は大きいかもしれない。

ジーコ(2002.9~2006.6)
基本フォーメーション4-4-2(中盤ボックス型)
自国開催のワールドカップで決勝トーナメントに進出すると、さらなる高みを求め、代表監督に“神様”ジーコが就任。「創造性」を重んじ、煌びやかな中盤の選手を起用する「スターシステム」は国民の期待を大いに煽った。ウイイレじゃないと作れないようなチームは、本大会のオーストラリア戦であえなく崩壊。「コンディションの重要性」、「約束事」の大切さを再認識する大会となった。

オシム(2006.8~2007.10)
基本フォーメーション4-4-2(中盤ワイド型)
次に監督となったのはオシム。「ボールは汗をかかない」など、数々の名言を残し“哲学者”などとも呼ばれたが、志半ばに病に伏せた。オシムが目指していたと言われる「変幻自在なサッカー」。完成形を観たかったと思うのは筆者だけではないはず。

岡田武史2次(2007.12~2010.6)
基本フォーメーション4-1-4-1(0トップ)
最終予選を数ヶ月後に控え、再び岡田武史が監督となった。本戦出場獲得後に負けを続け、ぶっつけ本番で戦術を変更。当時世界のトレンドだった「0トップ」を採用するとともに、「アンカー」を採用し、決勝トーナメント進出を果たした。
日本が世界で勝ち抜くためのポイント。それは「守備」であることに気付いた監督でもある。「サイドの守備」、「バイタルエリアでの守備」のベースを代表に作ったとも言える。

ザッケローニ(2010.9~2014.6)
基本フォーメーション4-2-3-1

「欧州の監督を」ということで呼ばれたのがアルベルト・ザッケローニ。「3-4-3」をベースに攻撃的なサッカーをするという触れ込みだったが、実際は全く違った。前大会(南アフリカ)での主力が多く残り、彼らの“集大成”的な印象が強く、個人的には期待もしたのだが…。
それでも、「インテンシティ」という聞きなれない言葉を連呼。日本サッカーが世界で戦えない理由は、「プレー強度」だということを教えてくれた。

アギーレ(2014.8~2015.1)
基本フォーメーション4-3-3

次に監督になったのは、メキシコ人のハビエル・アギーレ。この頃日本ではバルセロナが大ブーム。猫も杓子も“ポゼッション”と叫んでいた時期。当時スペインのチームで監督をしていたアギーレにその辺りの期待をしたのかもしれない。ただ、その顔の怖さ、言葉の強さにより、本意がイマイチ分からないまま、事情により解任。もう少し見てみたかったのが率直な感想。

ハリルホジッチ(2015.3~2018.3)
基本フォーメーション4-2-3-1
そしてその流れを汲む監督して就任したのがハリルホジッチ。正直、「誰それ!」と言いたくなる人だった。メディアに出る度に取る強気な態度が随分と癪に触ったが、当時はそこまで理解できなかった「デュエル!」が、今となっては当然のように大事なことはわかる。ロシア大会の出場権確定後に解任。メンバーの割に、ワクワクしなかった。

西野朗(2018.5~2018.7)
基本フォーメーション4-2-3-1

で、ロシア大会では西野朗が指揮。この大会では、予選二試合終了時点で勝ち点4を獲得していた日本が三試合目を“流す”という事態が発生。この試合では敗れたが見事決勝トーナメントへ。この判断が“あのベルギー戦”に繋がったことは言うまでもない。
「全試合全力で」などという根性論で勝ち上がれる大会ではないことを示してくれた。知ったことは勝ち上がるための「手段」ということになる。

森保一(2018.9~)
基本フォーメーション4-2-3-1
今回、森保一はどんなチームにしたいのだろう。
マスコミ対応ではほとんど分からない。批判が多い要因の一つだと思う。
ただ、我々は知っているはず。
「アジアと世界は全くの別物」であることを。
だからこそ、これまでの戦い方について「あーだこーだ」言うつもりはない。
大事なこと、評価の対象はこれからだ。
森保監督には知見を示してほしい。
あなたが監督で良かったのだと、我々に思わせてほしい。

我々がこれまでの6回のワールドカップで得た知見。
「規律」、「約束事」、「守備」、「プレー強度」、「一対一の強さ」、「手段」。
成功も失敗もあったかもしれない。だがこれは間違いなく我々の財産のはず。さまざまな国の、いろいろな監督が考えてくれた、日本が世界で戦うためのヒントだ。

選手の質は過去最高。
今回我々はどんな知見を得るのだろうか。

4年に一度の世界最大の宴「サッカーワールドカップ カタール大会」が間もなく始まる!

 

株式会社アイジーコンサルティング

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