野球を始めた日のこと、公園でやったキャッチボール、付き合わされた自主練、そして彼が野球で手にした友人たち。全てがワンセットで大切な財産だ。
今年もなんとか「ジュニアアスリートプラス高校野球特集」を発行することができた。国単位では、一部外国人観光客の受け入れが始まり、屋外でマスクを外すことが推奨され始めているが、学校単位で見ると、まだまだ日常を取り戻したとは言い難い状況が続いている。そんな状況下にありながら、ほとんどの野球部の高校3年生を掲載できたことは関係各位に感謝を述べたい。
さて、高校3年生にとって最後の夏が始まる。組み合わせも決まり、具体的に戦う相手の顔も分かった。一桁の背番号をもらった子、二桁の背番号だった子、惜しくも背番号がもらえなかった子など、さまざまな状況で夏を迎えると思うが、与えられた持ち場で、「ゲームセット」のその瞬間まで、ぜひとも「やりきって」もらいたいと思う。
他方で、親御さんも「最後の夏」となる。背番号や対戦相手などにより悲喜こもごもかもしれない。とはいえ、「一日でも長く」と全ての親御さんが思っているだろう。もちろん、一日でも長く高校野球をやってほしい。ただ、試合の度に半分のチームの高校野球が終わる。ただ考えてみれば、終わると言っても、たった数週間の違い。7月9日に始まり、決勝戦は7月28日。その差はわずか19日しかない。甲子園の決勝戦は8月22日。ここまで行けば40日ちょっとの差にはなるが、ざっくり言えば、最後まで高校野球をプレーできる子と、初戦敗退した子の差は一ヶ月くらいしかないということになる。いずれにしても、最後の夏は、あっという間に終わる。
何を言いたいかと言えば、大切にしたいのは夏の結果ではなく、これまで野球を続けてきた過程だということ。ロースコアゲームに属する野球というスポーツは、ハイスコアスポーツに比べて、「サプライズ」が起こりやすい。強いチームが必ず勝つスポーツではない。野球という競技の本質は結果ではなく、結果を追い求めた過程にこそあるのだと思う。
小学生の頃は、周りの子が遊ぶ姿を横目で見ながら、週末は野球の練習に明け暮れ、できなかったことができるようになった経験を積んだ。中学になると、なんでこんなに走るんだと思うほど走らされ、不信感を抱くこともあったが、仲間と一緒に頑張ることで、生涯の宝物を手にすることができた。高校になると、それら全てが意味のあったことだと気付き、誰しもが夢見る大きな目標を持ち、やらされる練習がやる練習に変わった。中学まではウザかった親に対して、素直になれるようになったのもこの時期。野球は、ちょっとだけ早く、大人にしてくれたはずだ。野球の価値は、背番号がいくつだの、どこまで勝ち上がったなどではない。高校3年まで野球を続けた全ての子がすでに手にしている。
息子の高校野球が終わってはや5年。今でもあの夏のことは思い出す。最後の試合のこともそうだが、併せて、野球を始めた日のこと、公園でやったキャッチボール、付き合わされた自主練、そして彼が野球で手にした友人たち。全てがワンセットで大切な財産だ。
高校野球が終わった翌年の夏。子供たちがバーベキューを企画。そしてそこに親たちも呼んでくれた。思い出に浸る親たちに対し、子供たちは夢を語りあっていた。そこには背番号の概念など存在しない。あるのは苦楽を共にした仲間であるということのみ。「俺はできる」。野球で育んだ強い気持ちが、彼らを前へと突き動かす。
「プロ野球選手になりたい」、「アイドルになりたい」、「社長になりたい」、そして「芸人になりたい」。子供が選んだ道であればそれが間違いなく正解。それが成功するかどうかも重要ではない。目指した過程にこそその後の成功が詰まっている。人生は一度きり。子供は親のコピーロボットではない。子供には子供の人生がある。親は子供の人生を応援する、一番の理解者であるべき。子供が本気でそれを目指すのであれば、それを応援してあげてほしい。親の価値観とは違う幸せを子供は求めているのかもしれない。「子供が幸せになること」。それが全て。
野球の後は子供たちの人生を大いに楽しんでもらいたい。