人の親になった意義

編集長のひとりごと

中学校の部活動は、部員数の減少が大きな問題になっているらしい。特に、男子の野球部、女子のバレーボール部は、「厳しい」というイメージか、部員の確保が大変のようだ。

私事だが、ウチには息子と娘のふたりの子供がおり、息子は野球部、娘はバレーボール部に所属している。そのせいか、よく聞かれるフレーズがある。「子供がそういう部活に入ると、親が大変でしょう」と。話しを聞けば、「週末潰れるでしょ」とか、「お金がかかるでしょ」といったことを言われることが多い。まあ、子供を持つ親の社交辞令。真面目に答える必要もないのかもしれないが、例外なく“ちゃんと”答えるようにしている。
「一切、大変じゃない。あるのは“喜び”と“楽しみ”だけ」と。

週末潰れる、と言われるが、基本的に親の手伝いは“当番制”。毎週必ず行かなくてはならないわけではない。数週間に一度、子供たちの送迎やお茶の支度をする程度だ。この程度を「大変」と言うだろうか。

お金がかかる、とも言われる。だが、何をやるにしても道具代はかかる。仮に勉強をするにしても、塾代、テキスト代などお金はかかる。程度問題だろうが、お父さんが呑みに行くのをほんのちょっぴり我慢すれば捻出できるくらいのお金だ。

子供たちは意外なほど、親を意識している。親が喜びそうなことを選び、親が嫌がりそうなことは選ばない。子供が悩んでいるのであれば、その背中を押す存在が親であってほしいと思う。「自分が大変だから」と言って、子供の選択肢をなくすことだけはしてほしくない、と思う。

先日の高校サッカーの選手権大会で、敗退るチーム退した、あるチームの監督が、ロッカールームで選手たちにこんな言葉をかけていた。
「この先の人生、さまざまな選択肢が訪れる。その時は迷わず“嫌な方”を選んでくれ。決してラクな道を選ばず、厳しい道を選んでほしい。その先にこそ成功がある」

子供には成功してほしい。しかし、この監督の言葉を借りれば、成功は容易には手に入らない。厳しい道を選び、努力した人しか手にできないのだ。

部活動の意義は、その活動を通じて培われる“スポーツマンシップ”であり、その先にある“人間力の構築”だ。勝利のために懸命に練習に励み、その練習をサポートしてくれる指導者、保護者、地域に対しての感謝を忘れない。感謝については後年に気付くとしても、勝利に向かって磨いた技術と心は人生の上での大きな自信となる。ただ、スポーツには勝敗がある。懸命に頑張っても結果が出ないことがある。むしろ、結果が出ないことのほうが多い。結果は出てほしい。だが我々親には、その頑張った過程を見守る義務がある。子供の確実な成長を、スポーツを通じてしっかりと感じ、瞼に焼き付けなければならない。それこそが親しかできない役割、人の親になった意義であるはずだ。

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