[第2話]始まりと終わりが来た日

空飛ぶ野球少年

13時頃。
再び救急隊からの電話が鳴った。

「お子さんは聖隷三方原病院に搬送されることになりました。5分程でドクターヘリが病院に着きます」

まだツキがある、と思った。

我々が待機していたのは浜北大橋付近のコンビニの駐車場。
聖隷三方原病院であれば20分程度で着ける。
名古屋や静岡でなかったことで、「ツキはまだある」と思ったのだ。

嫁さんはもはや運転ができる精神状態ではない。
運転を変わった。
13時20分頃。
聖隷三方原病院救急センターに到着。
コウタの親である旨を告げたのだが、待合室で待つように促された。

センター内は異様に慌ただしい。
看護士さんが小走りで奥へと向かう姿が目に入った。

「大丈夫かな…」

問いに対して嫁さんから返事がない。

嫁さんはまだ泣いていた…。
14時30分頃。
病院に到着してから1時間が経つが、未だ呼ばれない…。

再度受付へ向かう。

「先生に聞いてきますので少しお待ちください」
受付の女性が奥へと消えていった。

受付のカウンターに肘をつき、突っ立ったまま待っていると、壁の隙間から奥の様子が見えることに気が付き覗き込む。良く見えない…。状況が気になるばかり。誰かしらが少しでも説明してくれれば多少落ち着けるのに…。

幾重にも重なるカーテンを払うように、受付の女性が小走りで戻ってきた。

不安が増す…。

「今先生が来ますのでそのままお待ちください…」

「はっ!?あっ、はい」

ここは待合室。
何度か急病でここに来たことはあるが、先生がここまでくる光景を見たことがない。
名前を呼ばれて診察室に入る。そこに椅子に腰掛けた先生が待ちかまえている、というのが普通の光景。

先生が来るって言われたことにより、不安が一層増した。
もはや、嫁さんは顔を上げることすらできなくなっていた…。

「コウタくんのご家族の方いらっしゃいますか?」

先生はすぐにやってきた。先生は救急ドクターだった。風貌はドラマの「コードブルー」そのもの。

「こちらへどうぞ」

奥へと誘導される。

すぐにでも状態を聞きたかったのだが、怖くて聞けない。

診察室と書かれた部屋をいくつも通り過ぎ、カーテンを捲りながらさらに奥へ。
案内された場所は“小手術室”と書かれた部屋だった。

その部屋の中央の小さなベッドにコウタはいた。

生きていた!

体中が固定され、血だらけになったタオルが掛けられ、心電図と点滴で繋がれていたが、確かに生きていた!

「コウタくん、お父さん、お母さん来たよ」

コウタの姿を見た嫁さんは、安堵からか涙が止まらない。

「よかった…」

嫁さんはそれ以上言葉にならなかった。

それを見たコウタの目からも涙が零れ落ちた。

「ずっと泣かずにがんばってたもんね」

ドクターの話では、泣かずに、質問に対して「はい」、「いいえ」とハッキリ答えていたという。
全身を固定されるような、タオルが血だらけになるような事故に遭いながらも意識を保ち、嫁さんの電話番号を伝え、状態をしっかりと報告できていた。

「よかった」
心の中で呟いた。

気になるのはコウタの状況。
怖さもあったが、思い切ってドクターに状態を聞いてみた。

「今レントゲンをとったばかりですので、状況についてはもう少しお待ちください」

歯切れのいい答えは返ってこない。
コウタとは顔を合わせただけで、再び待合室へと追いやられた。
15時頃。
再び呼ばれ、小手術室へ。

「まもなく整形外科の先生が到着すると思いますので、それまでお話いただいて結構ですよ」

救急ドクターは専門ではないのか、まだはっきりしたことは言わない。
最悪の事態は回避された雰囲気だが、専門医の診断ではないため、まだ予断を許す状況ではないようだ。

それを聞いたコウタが話かけてきた。
全身を固定され、目しか動かせない状況。
その目だけを動かし話しかけてきた。

「お父さん、今日ね、ピッチャーの練習したよ」

ブワッと涙が溢れ出しそうになった。

「痛かった」とか「怖かった」とか言うと思っていたら、第一声が「ピッチャーの練習したよ」。
嫁さんがボロ泣きしている今、わたしまで泣いてしまったらコウタが不安がる。
そう思って必死に耐えていた。
コウタが心配かけさせまいと選んだ言葉。
その気遣いが何より辛かった。

程なくして、整形外科の先生が到着。我々は再び待合室へと戻された…。
16時45分頃。
診断結果を聞くため、再び小手術室へ。

整形外科の先生は手短に自己紹介を済ませると、レントゲン写真を我々に見せながら診断結果の説明を始めた。

「頭、背中、腰などの骨に異常はありません」

一番聞きたかった言葉をやっと聞けた。
安心したのか、嫁さんは手で顔を被った。
とにかくよかった。

「ただ他の箇所にはかなりのダメージがあります。まずは右腕。筋肉が断裂しています。神経がちゃんと戻らない可能性があります。筋肉がつきにくくなったり、しびれが残るかもしれません。そして左手ですが、手首を骨折しています。成長をつかさどる箇所ですので、右手と比べて短くなるかもしれません」

「えっ!?」

「息子は左利きで、野球をやってるんですが、野球はできるようになりますか?」

「できるようになると思います」

「先生、ピッチャーは?」

「………」

先生は何も言わず、視線を外すかのようにレントゲン写真へと目をやった。

野球は再びできるようになるそうだが、ピッチャーができるようになるかについては厳しいようだった…。

ピッチャーをやることを目標に自ら始めた野球。
ピッチャー練習を始めてした日に、コウタのピッチャー人生は終わってしまった…。
「とにかく緊急で手術が必要です。手術室が空き次第手術になります」

最悪の事態は回避できた。それだけでもツイている。
この時はそう思うしかなかった。

とにかく、すぐに手術してもらえるということなのでツイていた。
手術室が空けなければ、手術は後日になるとの話だったのだから。

さらに先生の話は続く。

「僕も小学校から大学まで、ずっと野球をやってました。また野球ができるようになるよう、最善の方法で臨みます」

ツイていた。
若くて、イケメンのその先生もコウタと“同じ”野球人。
一層親身になって取り組んでもらえるはず。
そう思い込んだ。

一報からずっと不安な状況が続いている。
こんな時だからこそ、“ツイてる”と思い込もうとしていた。

コロの付いたベッドに乗せられ、それを看護士さんに押してもらい、入院用に用意してもらった病室へ。

ここで手術室が空くのを待つことになった。

空飛ぶ野球少年

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