親にも求めたい
“子と共に成長する”姿勢
三年生にとって、“中学最後”となる中体連夏季大会もいよいよ佳境。本誌が出る頃には、県大会出場チーム以外は、中学の部活動が“終わっている”ということになる。
どうしてもこの時期になると、子供たちが中学生だった頃を思い出す。
ともに大きな目標を持って臨んだ最後の大会だったが、ともに目標には到底届くことがないまま、中学での部活動を終えた。チーム的には目標達成も十分可能な戦力だったが、ある時に歯車が狂いだし、それは最後まで戻ることはなかった。
ただ唯一の救いは、ともに新しい目標をすぐに見つけてくれたこと。
結果は結果。部活動で学んでほしかったのは、目標を持ち、その目標に向かって努力する姿勢。それをその後も実践してくれたのだから、「とても有意義な中学部活動だった」と心から思えた。
中学最後の夏が終わった子供たちにも新たな目標を持って欲しいし、親御さんにはその目標を支持し、応援してあげて欲しいと願う。
ただ、「?」と思うシーンにも数々遭遇した。
「先生、どうしてうちの子使ってくれないんですか!」、「うちの子が出ないんだったら応援行きません!」、「あの采配ミスで負けた!」。そんな言葉が耳に入ってきた。
せめて親だけしかいない場所でコソコソと話してくれていればいいのだが、子供のいる前で、直接先生に言っているのだから驚いた。
そこにはチームプレーの精神など存在しない。そこにあるのは“うちの子だけは”主義。チームの勝ち負けなど二の次で、自分の子さえ活躍してくれればそれでいい。要するに、自分勝手で自己中心的。これこそ涙が出そうになる。
一体、子供にどんな大人になってほしいのだろうか。
子は親の鏡であり、親は子の鏡でもある。
親の振る舞いや言動ひとつで子供の人格は大きく変わる。自己中心的を“良し”とされ育った子は、努力もせずに、全てを他人のせいにする大人になりそうで怖い。
親も子供とともに成長していくことが必要。
子供が生まれて初めて“親”になる。子供が1歳の時、親も1歳。子供はさまざまな経験をしながら年を刻む。子供が15歳になれば、親も15年分の経験を積み、親として15歳になっていなければならない。
子供だけではない。親にも成長が求められている。
親の成長とは何か。それは、“子離れ”していくことだと思う。
一方で、非常に胸が熱くなるシーンにも遭遇した。
それはとある野球大会決勝戦でのこと。接戦の中での終盤のチャンス。バッターボックスには主軸。
ここで監督は“代打”を送った。
バッターボックスに向かったのは、小柄な“背番号10”。
「なぜここでこの子に代打なの?」。たぶん会場の誰しもが思ったと思う。
しかし代打を送られた主軸の選手は笑顔でその選手の元へ向かいエールを送った。ベンチも応援席もこの日一番の声援を“その子”に送った。
「お前が一番努力したんだ!お前に託した!」。
そう叫ぶ監督のエールを聞いて、胸が熱くなった。
ベンチからは「行け~キャプテ~ン」とみんなが叫んでいた。
“その子”は誰よりも練習をした“控え”のキャプテンだった。
監督は知っていた。その子の地道な努力を。他の選手たちも知っていた。誰よりもしてきたその子の努力を。先生が“その子”を使うのには理由がある。
それは結果だけではない。
過程を大事にするべき部活動を象徴するシーンだったように思う。