部活動の在り方について考える
 の続き

編集長のひとりごと

さて、今回は「いま、部活動が危ない!」の第二弾。部活動を学校から切り離そうとする動きについての続き。

一方で、すでに外部コーチ(この言い方には賛否あるようだが、分かりやすくするためにあえてこう表現させてもらう)を導入している所でも問題が吹き出しているらしい。

その問題とは、顧問の先生による“パワハラ”。どんなことかというと、先生が外部コーチに全てを“丸投げ”しているということ。指導だけならまだしも、会場の運営や審判、さらには大会の手配までも外部コーチにやらせるというのだ。部活動であるにも関わらずだ。

さらには、その件について先生と話し合いの場を持とうとしても取り合ってもらえず、仕舞いには「もうやっていただかなくて結構」と、あっさりクビを切られることもあるという。

外部コーチは、ほとんどが別に仕事を持ち、手弁当持参で子供たちを指導してくれる存在。なのになぜこんなことが起こってしまうのか。そこには子供の存在が“ない”。元々は、子供たちの可能性を広げるために仰ぐ“専門家の指導”だったはずか、サブ的要素であったはずの、顧問の先生の“負担の軽減”ばかりが優先される結果となってしまっている。

もちろんこれは浜松の話ではない。都市部での話だ。しかしながら、国は“そっち”を見ている。その波は、じわりじわりと浜松にも迫ってきている。

念のために言っておくが、外部コーチシステムを批判している訳ではない。

顧問の先生が専門家でない場合、もしくは「負担が大きい」と感じているのであれば使うべきだと思う。イメージとすれば、先生が教科書で、外部コーチが参考書。学校の授業は教科書中心で進行し、参考書は補足ツール。部活動も同じ。教科書(先生)中心で行われ、より理解度を深めるために参考書(外部コーチ)を使うのが在るべき姿。

東京オリンピックが日に日に迫り、さまざまな問題が噴出すると同時に、「金メダル、金メダル」と言う声が大きくなっている。若い選手が活躍すれば、「金メダル候補だ!」とマスコミが騒ぐ。「金メダルこそがスポーツの全て」と言わんばかりに。

こんな動きに対し、違和感を感じずにはいられない。金メダルはあくまで“結果”。最も大事なのはその“過程”にある。結果を出すために、日々取り組んだ厳しい練習や、成果を挙げるために考えた工夫。それこそが必要なこと。それらが人間性を磨き、人としての輝きを放つ礎となる。結果ばかりを追えば、そこにあるのは多数の脱落者。勝利だけを求められ、伴わなければその場で切り捨てられる。果たしてそれに、どこまでの美しさがあるのだろうか。

取材を通じて出会った浜松地区の先生は、全てが部活動に熱心な方ばかりだった。

部活動を学校教育の一環としてとらえ、部活動から、社会を生き抜くための素地を身に付けさせようとしてくれていた。それらの全ては、自分のプライベートを削って行ってくれているものだ。もちろん、クラブの指導者も、外部コーチも、子供たちに寄り添ってくれている人が大半だ。

考えたいのはこの“風潮”。完全なる大人の都合で、子供の方を全く向いていない。「ふざけるな!」と言いたくなる。

二回にわたって、好き勝手言わせてもらった。東京オリンピックを控えた今こそ、学生スポーツの在り方について考えてみるべきだと感じる今日この頃である。

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