[第5話]野球の神様は“いる”

空飛ぶ野球少年

8月24日。

この日は警察立会いのもと、朝から現場検証。

当日はすぐさまドクターヘリで運ばれたため、警察がコウタから話を聞くのは今回がはじめて。

事故の内容を“あえて”細かく聞かなかった嫁さんにとっても、この現場検証で始めて事故の状況を聞くことになる。

「警察に捕まっちゃうかねえ?」

コウタが嫁さんに問いかける。

「捕まることはないからしっかり話しな」
午前11時。

現場検証が始まった。

まずは加害者の話をもとに、警察が事故の概要を説明。

「坂道を自転車で下ってきたコウタくんが、“止まれ“で止まれずに車にぶつかったの?」

「はい」

案の定だった。

練習場であるコウタが通う小学校の北側には、長く急な坂道がある。
その坂道を登り学校へ向かい、その坂を下り帰る。
その坂を下り終わるところに道路がある。
そんなに広くない道路。
坂を猛スピードで下った場合、ぶつかるとすれば“そこ”だ。

現場検証は淡々と進む…

ずっとあることが気になっていた。

コウタは「轢かれた」のではなく「吹っ飛ばされた」のではないか、ということだ。

通常、轢かれたのであれば救急車のはず。

でもコウタはドクターヘリだった。
その場に駆けつけた救急隊員の話では「背骨が損傷している可能性がある」と言っていた。だから“かなり”飛ばされたのではないか、とずっと思っていた。
しかし、嫁さんが詳細を聞きたがらないため、気を遣って触れずにいた。

ひと通りコウタの証言がとれた所で、警察が嫁さんに事故の詳細を説明しだした。

「コウタくんと車が接触したのはココです。車は自転車を避けようとして右に曲がりましたがココでぶつかりました。自転車の右側に接触し、コウタくんはフロントガラスに激突。フロントガラスが割れましたので、かなりの衝撃があったと思います。そしてここまで飛ばされています」

接触したという場所から4~5m先に“血痕”が残っていた。

やはり吹っ飛ばされていた!

「よほど運が良かったんですね。通常であればその程度の怪我では済んでない規模の事故ですよ」

事故当日、コウタはヘルメットをかぶり、バットを背負い、グローブやタオル、スパイクが入ったバッグを背負っていた。
バッグがクッション替わりになったのは想像しやすいが、バットは“逆に”危ないはずだ。バット上に体が乗っかり、十中八九、腰がやられているだろう。でもコウタは無事だった。
バットを背負っていたにも関わらずだ。

推測だが“バットは真っ直ぐ垂直になっていた”のではないか?バットのグリップがヘルメットあたりに引っかかり、背骨と腰を守る“つっかえ棒”の役割を果たしてくれたのではないか?そんな“奇跡”でもなければ事故の規模からして両手の怪我だけで終わるはずがない。

確かに運が良かったのかもしれない。

ひょっとして“野球の神様”が守ってくれたのかな、なんて思ったりもした。

とある名門野球部は「トイレを素手で磨いていた」らしい。
それは“野球の神様”に微笑んでもらうためだと聞いた。
人が見ていない努力を神様が見ていて、ピンチの時に助けてくれたり、チャンスの時に打たしてくれたりするらしい。
“失敗”のスポーツである野球は特に“神様”の存在を信じたくなるのかもしれない。

超一流と呼ばれる選手はみんな“運”がある。

野球の神様がいるような気がしてきた。

そうでも思わなければ説明がつかない。

コウタは下手なりに一生懸命野球に取り組んできた。
練習前にはスパイクを磨き、丁寧にグローブを手入れしていた。雨の日には練習から帰ってくるなり、扇風機の前にグローブを置き乾かしていた。バットは毎日振っていた。グリップは巻きなおしたばかりだ。
それらの全ての行いを、見えない所での努力を見ていた“野球の神様”がコウタを守ってくれたのだ。

野球の神様はコウタに何を言いたかったのだろう。
「まだピッチャーは早い」ということなのか、それとも「がんばりすぎだから少し休みなさい」ということなのか…

「お父さん、今度ゴムボール買ってきて」

「何に使うの?」

「山田太郎みたいに握力強くするために使いたい。右手の方がギブス取れるの早いはずだから右手を鍛える。左打ちだから引っ張る手は大事でしょ」

コウタは全くへこたれてなかった。逆にこの機会に“弱点”を克服しようとしている。

彼にとってこの事故はピンチではない。“チャンス”なのだ!

そんなコウタの姿を見てハッキリした。

野球の神様はいる!

空飛ぶ野球少年

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